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名古屋地方裁判所 昭和45年(ワ)3413号 判決

原告 H

右訴訟代理人弁護士 奥村仁三

被告 株式会社中日新聞社 (旧商号 株式会社中部日本新聞社)

右代表者代表取締役 加藤巳一郎

右訴訟代理人弁護士 浦部全徳

同 伊東富士丸

同 河上幸生

同 梨本克也

同 葛西栄一

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、被告発刊の中日新聞朝刊に別紙(一)〈謝罪広告〉欄記載の如き謝罪広告を別紙(一)〈条件〉欄記載の条件で掲載し、かつ、金一〇〇万円を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第1項のうち金員の支払を求める部分につき仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  被告は、昭和四五年一〇月一三日、同日付被告発刊の中日新聞朝刊一五頁に、「元刑事が会社乗っ取り」との白抜きの見出、「現職警官も関係?」「暴力団手口そっくり」との五段抜きの見出並びに「横領事件からアシ」との三段抜きの小見出のもとに、別紙(二)記載のとおりの内容の記事(以下「本件記事」という。)を掲載し報道した。

2  本件記事のうち、「愛知県海部郡美和町T(四二)」が原告を指すことは、原告の職業、美和町における社会的地位等により友人、知己、取引先等多数の者が明らかに知り得るところである。

3  而して、被告は、本件記事中において、原告がBと共に、関西系暴力団の手口をそっくりまねてC合資会社を乗取り、あるいは中区の喫茶店の乗取りを図り、多額の損害を与えた旨記載した。しかし、原告は、C運送合資会社の経営に行き詰った(当時八四四万円余の負債があり、月毎の収支も赤字であった)Cから、これを何とかしてくれと持ちかけられて同情し(Cはその頃ひそかに株式会社組織による別会社への切替を図っていた形跡がある。)、いわば押しつけられた形で右会社の経営管理を引き受けたものであり、その際、自己の経営能力を多少誇示した点はあったにしても決して乗取ったものではなかった(乗取りという言葉は、通常一般人に対し、本人の意思に反し無理矢理取られるという印象を与える。)し、少額の融資をエサにして経営権を取り上げるような企図や暴力的要素を背景にするようなこともなく、暴力団的手口と言われるような要素はなかった。(暴力団的手口という言葉は、明示、黙示の暴力的要素を背景としたものであるが、原告にはそれは全くみられない。)しかるに被告は十分な取材もせず右のような虚偽の事実を掲載したものであり、原告は、右記載部分を含む本件記事の報道により、著しく信用・名誉を毀損され、多大の精神的損害を蒙った。

4  従って、被告は、被告の本件記事の掲載報道により蒙った原告の損害を賠償すべき義務があるところ、原告の精神的損害を慰藉するに足る賠償額は金一〇〇万円をもって相当とし、また、原告の信用・名誉を回復するためには、名誉毀損記事を掲載したのと同一紙上、即ち中日新聞朝刊社会欄に、記事と同一程度を以て別紙(一)記載のごとき記事の取消及び謝罪の広告をなす(右と同一程度は、別紙(一)〈条件〉欄記載内容によってほぼ満される)ことが必要である。

5  よって、原告は被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として慰藉料金一〇〇万円の支払を求めるとともに、名誉回復措置として、別紙(一)記載の謝罪広告の掲載を求める。

二  請求の原因に対する答弁

1  第1項の事実を認める。

2  第2項の事実を否認する。本件記事中原告については単にイニシャルのみで表示されているに過ぎないから、本件記事を見て「美和町T」を原告と認識しうる人は、Bと原告との交際関係を知っている極く少範囲の人に限られ、相当多数の人に対し、原告であるとの認識を与えることはない。原告を表示することが明らかでない以上、原告の本訴請求が失当たることは明白である。

3  第3項の事実のうち、原告がBと共に関西系暴力団の手口をそっくりまねてC運送合資会社を乗取った旨の記事を掲載したことを認め、原告がBと共に中区の喫茶店の乗取りを図り多額の損害を与えた旨の記事を掲載したことを否認し、その余の事実を争う。

4  第4項の事実を争う。

三  抗弁

1  本件記事は、社会の公器たる新聞の使命に基づき、会社の乗っ取り事件を現職警官との関係において取り上げることによって、一般世人に対し警告を発すると共に、ひいては警察の姿勢を正し、広く警察官一般に対する警鐘とすることを狙いとして報道したものであり、本件記事のうち原告に関係する部分は、見出し中の「暴力団手口そっくり」という部分と、本文中「Bが社長、Tが専務になり、名古屋市昭和区で『I自動車』を経営、関西系暴力団の手口をそっくりまねて、同市西区《番地省略》Cさん(五三)が経営していたC運送合資会社(中村区《番地省略》の乗っ取りをはかった。Cさんの話では、四十一年春ごろ、元社員だったTの紹介でC運送にBが現われ、『十億円の資産家だ』とのふれこみで、事業提携を申し入れた。Bは『ウチの会社で運輸部門を設立するが、業界のことを知らないので協力してほしい。金はいくらでも出す』ともちかけ、Cさんを信用させた。やがて経理を引き受けることを条件に、Cさんに白紙委任状を書かせた。さらに、取り引き上必要だといつわって印鑑を持ち出し、会社名義の銀行預金数百万円を引き出し、定款まで勝手に変更するなど“合法的手段”で乗っ取った。時にはいぶかるCさんに、Tらが『BさんはK署で警部までやった人格者だ。ウソはいわない』とハッタリを並べた。翌四十二年三月末、CさんはB、Tらを詐欺などで名古屋地検に告訴、名古屋地裁にも民事訴訟を起こしたが、白紙委任状一枚で刑事事件にならず、長い裁判と高い訴訟費用に耐えかねて、約一年半後、告訴と訴訟を取り下げた。」という部分と「しかし、乗っ取った運送会社は間もなく倒産、金を使いはたし、BとTらは仲間割れするようになった。」部分に限られるが、右原告に関する部分はすべてその内容が公共の利益に関する事実に係り、専ら公益を図る目的で掲載、報道されたものであり、かつ、その報道内容も真実である。

2  仮に、本件記事中に真実との証明が得られない部分があったとしても、本件記事は以下に述べる経過による取材に基づき報道したものであって、被告においてこれを真実と信ずべき相当の理由があった。

即ち本件は、愛知県警察本部担当の滝記者が、昭和四二年三月九日頃ウェートレス殺人事件を取材中、C運送合資会社(以下「C運送」という。)の乗っ取りを図ったとの情報を得たので、直ちに取材に入り、D及びEから詳細聴取し、この事件には元刑事Bが原告と共同して行動し、Bの交遊関係から現職警官にも絡む疑いが出て来たため、関係者であるCに直接取材し、同記者は、以前取材した暴力団O組系Q組によるR運輸株式会社乗っ取りの際の手口にそっくりであることに気づいた(原告は、R運輸がQ組に乗っ取られた当時、R運輸の営業部長をしていた)が、当時、前記殺人事件が未解決でE、D両名とも重要参考人として捜査の対象に上げられている状況にあったので、慎重を期して殺人事件が解決した後に取り上げることとして、昭和四二年三月末頃ひとまずこの件を休止した。しかるにその約三年半後の昭和四五年一〇月五日、突然Eから電話があり、一度会って事情を聞いてほしいと申し入れてきたので、県警担当の佐久間記者、河口記者の両記者が面接し、以後県警記者クラブ担当キャップである社会部次長佐藤記者の指揮の下に追跡取材を行なったが、Eからの詳細な聴取の結果も、三年半前の取材結果とほぼ変りないことが確認されたため、佐久間記者らは、「会社乗っ取りと現職警官との関係」という視点から改めて関係者に対する慎重な取材をすることとし、再度E、さらにC、Dについて裏付調査をなし、これらによって得られた事実関係の真偽を確かめる必要から、県警本部監察官室氏原岩男室長に二度に亘って面接して調査し、また稲沢警察署土師弘署長にも面接して裏付調査を行なった。以上の調査を通じ、信憑性の高いものと評価し得るとの判断に達し、右判断の下に、警察の姿勢を正すと共に、一般予防の見地から世人に警告を発することを狙いとして本件報道を行うことに踏み切ったのである。本件報道が以上のような目的から出たものであるから、キャップの佐藤記者らは登場人物の人権にも最大限の慎重な配慮をはらい、前記のとおり人物の特定を避けるよう実名、職業等を伏せたのである。

四  抗弁に対する答弁

1  第1項の事実を争う(但し後記認める部分を除く)。殊に本件記事のうち、原告に関する部分が、被告主張の部分に限られるとの点を否認する。本件記事のうち、原告に関する部分で正しいのは、(一)Bが昭和四三年春ごろ「T(原告)から販売を委託されていた中古乗用車三台の代金約六〇万円を横領した」こと、(二)原告が怒ってBを告訴し、これによりBが稲沢警察署に逮捕されたこと、(三)昭和四二年三月CがB、T(原告)を詐欺などで名古屋地検に告訴し、名古屋地裁に民事訴訟を提起したこと及びその後告訴、民事訴訟を取り下げたことのみであって、その余の部分はすべて虚偽である。

2  第2項の事実を争う。

本件記事の取材方法は、全く半面的な言辞を資料としたもので公平な取材方法ではない。すなわち、それは殺人事件の容疑者として捜査を受けていたE及びD並びに一方当事者として自己の有利な点のみを強調するのが当然であるCの言辞によるものであり、これを真実として鵜呑みにすることは許されず、とりわけ本件につき、Cにおいて警察、検察庁に告訴するも、不起訴になっていること、また民事訴訟を起こしたが結局取下げ、当事者間に和解もできていたことを総合すれば、慎重な判断を要すべく、被告もこれらを十分知っていたのであるから、事の真実性を確認するためには、一方的言辞をそのまま信用することなく、少なくとも相手方である原告らの弁解を聞くとか、民事訴訟関係の代理人弁護士から事情聴取するとか、捜査当局に或程度事の真相を聞くとかしてその事実の有無を確かむべきものであったのである。

第三証拠《省略》

理由

一、請求の原因第1項の事実は、当事者間に争いがない。

二、而して本件記事においては、原告を実名で表示せず、「愛知県海部郡美和町T(四二)」という形で表示しているので、まず本件記事によって、原告が特定されているか否かについて検討する。

本件記事においては、原告の実名は明示していないものの、単なる記号ではなく、イニシャルである「T」と表示され、かつ住所も、「愛知県海部郡美和町」と町名まで記載され、年令も「四二」と表示しているうえ、本件記事中に実名で記載されているBと原告との関係も具体的に摘示され、原告がBとともに「名古屋市昭和区で『I自動車』を経営していた」ことの記載がありさらに「C運送合資会社を乗っ取った」旨の記載から原告が何らかの形で同会社の関係者となったことが窺えるところ、原告が昭和四五年一〇月当時、愛知県海部郡美和町に居住し、年令も記事の四二才にほぼ近接する四〇才直前であったことは《証拠省略》から明らかであり、(《証拠省略》中には妻子のみが同所に住んでいたに過ぎない旨の供述部分があるが、これは《証拠省略》に比照し採用し難い)、後記認定の如く、原告はBと相当緊密な交際があり、《証拠省略》によると、原告はI自動車商会の経営には当っていなかったものの、昭和四一年三月頃から、Bの経営する同商会の事務所の一部及び同商会の名称を借用し、数名の従業員を使用して運送業をしていたこと、同年一〇月頃、CにかわってC運送合資会社の経営に当るところとなったこと、その後右会社の代表者がJに交替した後も営業担当としての職務に従事していたことが認められる。(なお、以上の点の詳細については、後記判示参照)

そして、《証拠省略》によると、同証人らはC運送との取引関係があったことから原告と関わってきたこと、現にUは本件記事中のTが原告であることが記事を一読してわかりすぐに原告に架電していることが認められる。

以上の事実を総合すると、原告と同じ町内に居住する者、I自動車商会を借用しての原告の運送業務に関わった者、Bとの交際を知る者、C運送と関わりのあった者で本件記事中「T」が原告であると推知し得た者は相当多数あったことが容易に推認されるところである。

ところで、名誉毀損における被害者の特定については、必らずしも実名を表示することを要せず、記事の全趣旨及びその他の事情を総合してその何人であるかが相当多数人に推知される場合であれば足りると解すべきであるから、本件記事における「愛知県海部郡美和町T(四二)」との表示は、原告を特定するものとして十分であると認められる。

三、そこで以上の各事実(当事者間に争いのない事実を含む。)により、本件記事が原告の名誉を毀損するものであるか否かについて検討する。

当事者間に争いのない本件記事内容のうち、原告に関する部分がどの部分に当るかは争いがあるが、この点につき当裁判所は次のとおり認定、判断する。即ち、原告に関する部分は、「Bは四十三年春ころ、会社乗っ取りの仲間だった愛知県海部郡美和村、T(四二)から販売を委託されていた中古乗用車三台の代金約六十万円を横領した疑い。最近になってBはTと金銭問題で仲間割れし、怒ったTがBを告訴したという。」「Bが社長、Tが専務になり、名古屋市昭和区で『I自動車』を経営、関西系暴力団の手口をそっくりまねて、同市西区《番地省略》、Cさん(五三)が経営していたC運送合資会社(中村区《番地省略》)の乗っ取りをはかった。Cさんの話では、四十一年春ごろ、元社員だったTの紹介でC運送にBが現われ、『十億円の資産家だ』とのふれこみで、事業提携を申し入れた。Bは『ウチの会社で運輸部門を設立するが、業界のことを知らないので協力してほしい。金はいくらでも出す』ともちかけ、Cさんを信用させた。やがて経理を引き受けることを条件に、Cさんに白紙委任状を書かせた。さらに、取り引き上必要だといつわって印鑑を持ち出し、会社名義の銀行預金数百万円を引き出し、定款まで勝手に変更するなど“合法的手段”で乗っ取った。時にはいぶかるCさんに、Tらが『BさんはK署で警部までやった人格者だ。ウソはいわない』とハッタリを並べた。翌四十二年三月末、CさんはB、Tらを詐欺などで名古屋地検に告訴、名古屋地裁にも民事訴訟を起こしたが、白紙委任状一枚で刑事事件にならず、長い裁判と高い訴訟費用に耐えかねて、約一年半後、告訴と訴訟を取り下げた。」「しかし、乗っ取った運送会社は間もなく倒産、金は使いはたし、BとTらは仲間割れするようになった。」との記載内容部分がこれに該当するものと認められる。これに対し原告はこの他、「原告がBとともに中区の喫茶店乗っ取りを図った」旨記載があると主張するが、当事者間に争いのない本件記事内容を精読するも、右内容の記載部分は、原告の関係するものとして記載されているとは認められないから、原告のこの点に関する主張は採用しない。

以上によれば、本件記事の読者は、原告がBと共同し、暴力団の手口をまねて、運送会社の“乗っ取り”という社会的非難を受ける行為をしたと受け取ることは見易い道理であり、かかる事実が流布されれば、原告の社会から受ける客観的・社会的評価は当然低下するものと考えられる。したがって、本件記事を掲載した新聞を発刊、頒布されたことによって、原告はその名誉を毀損されたことが明らかであるといわなければならない。

四、このように、原告の名誉が毀損されたことの明らかな事実関係の下においては、特段の事情が存しない限り、被告は、これによる損害を賠償すべき義務を負うものというべきところ、被告は、新聞の公共性、本件の公益目的、公共性、真実性、相当性の見地から、賠償責任を負わない旨主張し(抗弁第1項、第2項)、当裁判所も、本件記事に扱われた事柄が公共の利害に関するものであり、且つその報道が専ら公益をはかる目的でなされた場合には、摘示された事実が真実であると証明されたとき、もしくはその事実を真実であると信ずるについて相当の理由があるときは、結局不法行為の責任を負わないものと解するので、以下、順次これらの事実の存否について検討する。

五、本件記事中、原告に関する部分は、社会的に非難を受けるべき会社乗っ取り事件を取り扱ったものであるから、事柄の性質上、新聞の持つ社会の公器としての役割に照らして公共の利害に関わるものであることは明らかである。

六、《証拠省略》を総合すれば、昭和四五年一〇月五日、Eの通報を契機として、原告らの非行事実に関する取材を再開した被告名古屋本社の編集局社会部次長佐藤記者、同部の佐久間、河口両記者は、その取材活動の結果、本件記事記載の如き事実が存在すると信じ、元刑事を中心として現職警官も関与した集団が会社乗っ取り事件を起こして、一般市民を泣かせることは問題であるとして、右事実を報道して市民の批判に訴え、併せて警察の姿勢を正させることが新聞の使命であると判断し、この目的の下に、本件記事を掲載したことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

右事実によれば、本件記事は、専ら公益をはかる目的で掲載されたものと認められる。

七、次に、本件記事中、原告に関わる部分が真実であるか否かについて検討する。

右のうち「Bが昭和四三年春ごろT(原告)から販売を委託されていた中古乗用車三台の代金約六十万円を横領した」こと及び「原告が怒ってBを告訴し、これによりBが稲沢署に逮捕されたこと」、「昭和四二年三月CがB、原告を詐欺などで名古屋地検に告訴し、名古屋地裁にも民事訴訟を起こしたこと及びその後告訴、民事訴訟を取下げたこと」は、原告が真実である旨自陳するところである(原告は、その余の部分全部が虚偽であるという)ので、これを前提し、その余の部分について検討を加える。

《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。

昭和四一年二月頃、暴力団O組系Q組が、その組長Qを大金持であるとふれ込んだうえ、R運輸株式会社(以下「R運輸」という。)に融資の話を持ちかけて信用させ、同社代表者の無力も手伝って白紙委任状を取ってそれをたてに同会社の経営権を自己の支配下に収めるという事件があったが、原告は、その以前から同会社の取締役営業部長であったところ、右暴力団に最後まで抵抗を試みたけれども、結局、同会社は倒産したため、原告は自己の管理下にあった車両を持ち出し、従業員数名を伴ない、B経営のI自動車商会を連絡場所にして、運送業を続けたこと、原告は、I自動車商会の従業員もしくは役員ではなかったけれども、Bからは対外的にも、対内的にも「専務」と呼ばれ、原告もそのように呼ばれることに敢えて異を唱えていなかったこと、

同年九月二〇日頃原告は、以前に知り合ったCの経営するC運送合資会社に赴き、Cに対し、運輸省の免許が取れないから一緒に仕事をやってもらえないか、と、I自動車との業務提携を誘い、その際、I自動車の社長は警部までやったりっぱな人で、資産は一〇億あり数千万や一億をこの事業に注ぎ込むことはた易い旨説明したうえ、Cには代表者のままで運送業をやってもらい、社名も変えないと持ちかけたこと、当時、運輸省は資本金二〇〇〇万円、車二〇台に満たない運送業者はこれを協同組合として相互に合併させるという行政指導方針を打ち出していたので、C運送は、当時経営については繰越欠損金を埋合わす程度の黒字を出してどうにか経営は成立っていたものの、資本金を二〇〇〇万円にする必要に迫られており、その策に苦慮していたところであったため、原告からの右のような話があったことから、Cは右誘いに乗ることとなったこと、

同年一〇月一日、C運送とI自動車は業務提携することになり、同日原告は、何千万円もつぎ込んで後で知らんと言われると困るからとの理由で、担保のかわりに、Bに対しC運送の営業権、免許、経営管理権等一切の権限を委任する旨の委任状(乙第一二号証)を書くよう、また同書面を書けば他に何もいらないと説明したうえ、Cに指示して右委任状を作成させたこと、なお、Cは、当時、以上の資金援助等を当込んでC運送の規模を大きくするため、C運送合資会社をC運送株式会社にする(後者を設立し、前者のもつ免許等を譲渡して前者を解散)ための準備中であったが、Cは、業務提携前にその旨原告やBに話していたこと、また提携に当り、Cは、同年一〇月五日、C運送の取引銀行が、愛知信用金庫中村支店、東海銀行明道町支店、中央相互銀行新道支店、岐阜相互銀行名古屋支店であることを説明し、右四行に通用するC運送の経理用の印鑑及び全ての手形帳、小切手帳、定期預金をI自動車側に渡したが、C運送の代表者印(C個人の実印でもあった。)は渡さなかったこと、さらに同月中頃経理をI自動車とC運送とを一本化して、I自動車のほうですることになり、Cもこれを承諾し、その頃帳簿類は全部I自動車側に引渡されたこと、

しかるに同じ頃原告は、当時I自動車で働いていたEとともにCの自宅に赴き、C運送の名前を使った方が銀行から借りやすいとの口実のもとにC運送の代表者印(前記C個人の実印でもあったもの)をほぼ終日ねばって借り受け、その際同席していたCの妻から、右実印を銀行以外に使わないように念を押されたが、その後、B及び原告は、C運送名義の預金をおろして使ったり、C運送名義で第三相互銀行堀田支店から二〇〇万円借りたりした挙句、代表者印を使って、同年一一月頃Cに無断で、C運送の有限責任社員数名が退社し、B、原告らが入社した旨の変更登記を了し、代表者印の変更届も終え、さらに翌昭和四二年二月末頃無限責任社員であったC自身も退社し、Cの持分をB、原告が譲り受け、原告が、無限責任社員として入社した旨の変更登記手続をしてしまったこと、

Cは、同年三月上旬頃原告から出社しないように言われ、出社しなかったところ、他からの取材によりこれを知った被告の滝記者から会社の登記が変えられていることを聞いて驚き、直ちに登記を調べて初めて右事実を知り、B、原告に抗議しC運送を返すように何度も頼んだが断わられたため、同年三月末B、原告を名古屋地方検察庁に告訴し、続いて同年四月名古屋地方裁判所に民事裁判を起こしたこと(告訴、訴提起の点は、当事者間に争いがない。)、

その後、昭和四二年八月B、原告は、C運送を、V株式会社の経営者であったJに対し八五〇万円で売り渡したがBと原告とは、右代金をBがひとりじめにしてしまったことなどから仲間割れをしてしまったこと、C運送はW運輸合資会社と商号変更し、営業を続けたが、昭和四四年二月頃倒産するに至ったこと、

以上の事実が認められる。これに対し甲第三号証には、Cが右各登記手続をなすことにつき十分承知していた旨の記載があるけれども、前掲各証拠、就中、C証言によれば、同証はCがZから告訴を取り下げるように頼まれ、取り下げれば、復帰して一諸にやろう、またCが以前に犯した私文書偽造の告訴も取り下げすると言われて承知し、さらに民事裁判を続ける費用がなかったため訴訟も取り下げることになった等の事由により作成したものであることが認められるから、甲第三号証をもっても、前記認定事実を左右するに足りない。また、乙第一二号証は前記認定の経緯によって作成されたものであるから、Cが無条件で全面的に経営権を移譲するとの趣旨でないことは明らかであって、同証も前記認定を妨げることのないことは同断である。《証拠判断省略》

八、以上の事実によれば、原告は、Bとともに、特段の対価、代償なくしてC運送の社員権(持分権)、代表権限(業務執行権)を自己らが取得することとし、その登記まで了したものであることが認められる。本件においては、前記認定のとおり、委任状(乙第一二号証)の他、双方の約定内容を記載した契約書等の書面は一切存しないので、具体的な約定内容を細部にまで明確にすることはできないが、前掲各証拠にみられるとおり、本件は、双方が業務提携という点でお互に諒承して出発したものであり、業務提携という以上、相互に負担を負い、利益をはかることを認めるべき筈のところを、双方とも思惑もあって自己に都合のよいようにのみ解釈して行動し、Bにおいても、原告らからみて納得しかねる行動もみられたことから、結局前示のように、持分権、代表権までもすべて原告らに移る手段がとられるに至った一面を否定することはできない。

このように本件の結果については、Cにもその一因がある(その他、手続的にも印鑑を預けるとか、委任状を手交するとかの手落もある。)とはいえ、世上、運送免許がそれ自体、相当な財産的価値あるものとみられている現状に照し、前示特段の対価代償なくして、しかもBの意向にかかわりなくこれらを取得する以上、それを首肯するに足る合理的な事由が存しなければ、正当な取得とみることはできない。(合理的な事由の存在を認めるに足る証拠もない)。

被告は、この「正当でない取得」を「乗っ取り」と表現して記載したものであるが、「乗っ取り」という語は、法律上熟していないため、その定義も必ずしも明確とはいい難いが、《証拠省略》によると、正常取引による株式取得を以てする経営権の獲得も、前経営者の意向に反して行われるものは、「乗っ取り」とする表現が新聞報道で用いられていることが認められることも併せ考えれば、上記認定事実を把えて、「B運送を乗っ取った」と記載することは、真実を表現したものと認められる。

従って本件記事中、基本部分の一つである右の部分は真実と一致し、またその説明部分に当る部分も、前記認定事実と対照すれば、大部分において(但し後記、真実の証明十分とは認め難い部分を除く)、真実を表現するものと認められる。尤も、このうち、会社名義の銀行預金「数百万円」を引き出し、との部分と、乗っ取った運送会社は「間もなく倒産」との部分は、前記認定事実と対比し、ややニュアンスを異にするが、その差異の巾はさして大きいものでなく、且右の各部分が本件記事中において占める地位、役割も、その比重の大きいものでないことを併せ考えれば、記事全体の真実性に影響を与えるものとはいえない。

九、ところで、以上の他、本件記事のうち、Bが社長、原告が「専務」となり、との部分、関西系「暴力団の手口をそっくりまねて」との部分及び「元社員」だったT(原告)の紹介で、との部分が真実に合致することを認めるに足る証拠はない。そして以上の各点は、前示二点に比し、比重の大きい面を含むものと認められるので、以下それらの点を詳細に検討する。

一〇、まず「専務」の点について検討する。

前記認定事実によれば、原告はI自動車の経営者であるBから、対内的、対外的に「専務」と呼ばれており、原告自身それを否定していなかったのであり、《証拠省略》を総合すれば、前記事実をEから取材した被告の記者らは、他の取材からEからの取材は真実であると判断し、原告はI自動車の「専務」であると信じ、その旨記事にしたものであることが認められ、以上を総合すれば、被告の記者らが、当時、原告はI自動車の「専務」であると信じたことについては相当な理由があったものと認められる。

一一、次に「暴力団の手口をそっくりまねて」との点について検討する。

この点は、証明不十分な三点中でも比較的比重の大きい問題であるが、前記認定事実によれば、原告は、昭和四一年、R運輸が、暴力団O組系Q組に乗っ取られた当時、R運輸の取締役で、右乗っ取りに対し最後まで抵抗したことが認められるのであり、原告は右「Q組の乗っ取り」の手口、内容など全く知らないと言うけれども、以上の事情に照らせば、程度の点は格別、全く知らないというのは到底首肯し難く、この点と、Q組による「乗っ取り」の際における手口が、本件C運送「乗っ取り」の手口と外見上極めて類似していることを併せ考えると、被告の記者において、Eからの取材に基づき、「原告らが右Q組の手口をまねて、C運送を乗っ取った」と信じて、その旨記事にしたことには相当な理由があるものと認められる。この点、「関西系暴力団の手口をそっくりまねて」という記事は、「暴力団手口そっくり」という見出しと共に、それのみでは、軽卒な読者に対し暴力的要素を有する事件であるかの如く、またひいては原告が暴力団とつながりがあるかの如き錯覚を与えかねない危険性を内包し、その意味では、右の掲載は、いささか表現上適切を欠く嫌いがないとはいい切れない(全証拠に照らすも、原告が暴力団と関係があるとは認められず、通常の一市井人、企業人であり、本件は前記認定のとおり、いささかも暴力的要素は含んでいない。)が、本件報道は、右の見出し、記事の他に、詳細な態様内容を記事として掲載しており、「暴力団の手口」というのもいわゆる知能的暴力団の手口と呼ばれるものであるから、通常の一般読者に前記の誤読の危険性を与えることは考えられず、結局、記者による、まねたとの判断部分を、原告がまねて行なったとの事実の如く記載した点に正確を失する部分があるのであるが、上記事情に照らしこれは止むを得ないものと認められるので、相当な理由の存在を動かすことはない。

この点につき、原告は、被告の記者らの取材が、殺人事件の容疑者と目せられたEの言辞を鵜呑みにしてなされたものであると主張するが、前顕各証拠によれば、被告の滝記者の取材は、Eが右殺人事件の容疑者として、取り調べ等を受ける前になされたもので、佐久間、河口両記者のEからの取材は、滝記者の取材から約三年半後のものであり、かつ滝記者の取材と合致していたというのであるから、被告の記者らがEの言辞の信用性を吟味しないまま、これらの取材に依存したと見ることはできない。(なお後記判示参照。)。前掲各証拠によれば、被告の取材は、ほぼその主張(抗弁第2項)のとおりの経緯で取材、裏付調査を重ねたもので、後記の問題点を除き、慎重、公正になされたものと認められる。

一二、次に「元社員」の部分について検討する。

《証拠省略》によっても、原告がC運送の従業員として雇われたことはなく、昭和三一年頃得意先を世話するという口実で、その費用名下に一〇万円の小切手を持逃げし、この件は三年後にわびを入れて許して貰ったという関係があるのみであり、その他の関係としては、原告が前記R運輸に就労中、C運送と同社とが取引関係にあったことが挙げられるにすぎない。

従って本件記事において「元社員」と表現していることは、「乗っ取り」事件にあって、内情に通じた「元社員」が加担して行ったとの印象を与えかねない点、問題なしとしない。しかもこの点は、本人である原告に確認すれば、た易く補正し得る点であるから、なおさらの観がある。しかるに被告が以上の確認を行ったとの証拠は存しない。

しかし、《証拠省略》によれば、被告による本件事実関係に関する取材がほぼ最終段階に進み、原告本人から弁明を聞く等若干の作業を残すのみとなった昭和四五年一〇月一二日に至り、県警本部の最高幹部の一人からキャップの佐藤記者に対し本件問題を記事にすることを止めてくれないか、との申入れがあり、警察と新聞との関係もあって、むげには断り切れない実情にあったところから、既に原稿化されておって、申入れが遅かったという理由で報道する以外方法がないこととなり、急拠同日深更の締切に間に合せて掲載したとの経緯が認められる。このため原告の弁明を聞く等の手続を省略されてしまったことが窺われるのである。

この点、警察による介入なかりせば、当然に原告の弁明を聞くことも予定されていたのであるから、それらが実現したものと思われる(前記証拠によっても、本件については、被告はじっくり時間をかけて取材及び各種の裏付調査を慎重に行ってきており、通例、行うべき取材を殊更カットする必要も事情も窺い得ない。)。これは、もとより原告のあずかり知るところでなく、それによって弁明の機会等を奪われてしまったこと(「元社員」の問題に限らず、本件全般に亘ってであることはいうまでもないが)は、まことに同情に値し、その心情は察しうるところである。さりとて、これを被告の責任というには、以上の経緯に併せて、以下の事情をも斟酌すると、酷に失するものといわなければならない。即ち、「元社員」の点は、前示のとおり、単なる枝葉末節とはいえないが、本件記事全体において占める地位は、必ずしも中心的なものでなく、いわば付随部分のうちの或程度の比重を占めるものとみることができ、この点の誤りは決定的意味をもつことはないこと、さらに被告においてただ漫然とそのまま報道したのではなく、原告本人の弁明を聞いていない等の点への配慮から実名掲載を避けていること(この点、特定性までも失なう程度でないことは、前認定のとおりであるが)、等も事情を考えると、それなりの対応と配慮もなされており、被告の措置を止むを得ないものとして、相当な理由があるといわなければならない。

原告は、被告の取材が半面的、不公平な方法で行なわれたというが、右各認定のとおり、右の問題点の他慎重且公正に行われたものと認められる。

一三、以上のとおり、被告の主張は結局理由があることに帰するから本件記事の報道による不法行為は成立しないものと言うべきである。

一四、よって原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないことが明らかであるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 寺本嘉弘 裁判官 金馬健二 天野登喜治)

〈以下省略〉

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